naotsune’s blog

横浜のとあるおじさんの日記

形から入ること

昨日は午前中から月島プールに行った。出勤は遅くなるのだが、今月前半の激務から勤務時間過多に陥っているのでちょうどよいのだ。

ここのところ半年ぶりの四十肩が痛み出し、腕を回すのが辛い。板キックと板平泳ぎ?、ゆっくりな背泳ぎなどでダラダラと一時間。

そろそろ帰ろかというころ壁際で休んでいると、年輩の女性が話しかけてきた。

「上から見てたんだけどあんた上手ねえ、フォーム一番きれいよ」

「えっ、そんなはずありませんよ、人違いじゃないですか」

「いいえ、赤い帽子かぶってたもの、あんたよ」

「えっ、いやいやそんなそんな」(そそくさと逃げる)

 

すぐに泳ぎ出したのだが、突如人目を気にし上手に泳ごうとしたためとてもぎくしゃくとした泳ぎになった。わたしは人見知りであり、あがり症であり、自意識過剰である。

 

褒められたことは嬉しかった。さんざんレッスンを受け、Youtubeで夜な夜な研究をし、フォームチェック撮影会まで出かけて頑張ってるのだから、少しはサマになってきたのだろう。

 

だが、わたしは形から入る人間であることを知っている。形から入るだけならまだしも、その後、実の方に目を向けることをおろそかにするのだ。自虐するつもりはなく、性格分析である。

 

私は若いころの多くの時間を楽器の練習に費やした。相当上手になったものであるが、私の興味の多くはスタイリッシュに演奏することに特化したものであった。もちろんそれでも充分なのであるが、私の演奏が形ばかりになってしまっていることを自分自身でも、他人からの指摘でも気づいていた。その中身、つまり音楽的なこと、芸術的なところにいかに興味を向けていなかったのかは、私が作曲や編曲という最も音楽的な衝動に対して全く志向がなかった事実にも如実にあらわていたと思う。これは果たして性格によるものだけだったのだろうか?

 

水泳に戻ると、私はずっと楽にスタイリッシュに泳ぐことを目的に努力している。最近気づいたことであるが、楽に泳ぐことを追求し続け成果を上げてきたのに伴い、水泳のトレーニングとしての効果を同時に引き下げてきたと思う。楽に泳げるようになったのならピッチを上げるなり距離を延ばすなりすべきなのだ。

特にツービートキックを覚えたことによるサボりは顕著であった。ツービートキックにより息が上がらなくなるだけではなく、水の抵抗がかなり減り、キックを減らしたにも関わらず速く進むのだ。普段の私のキックがいかにへたくそで足が抵抗になっているかということでもあるのだが、ただいたずらにキックを減らすことは心肺負荷を著しく軽くしてしまうだけであると思う。楽に長く泳ぐことができてもトレーニングとしては弱いのだ。

 

じゃあどうすればよいのか?こうだ。

今年の目標は距離を延ばすこと。

 

今年の目標といってももう6月なのだが、もうすぐ越中島プールが開場する。今年も月パスを買って泳ぎこもう。