忘れたくなんてない
「忘れたくなんてなかった」
私が愛してやまない映画「八日目の蝉」のクライマックスシーンで主人公の井上真央が叫ぶセリフだ。豊かな自然と愛情にあふれた田舎の人々との記憶を、実の母親から厳しく封印されてしまっていたのを思い出し、その悲しみを解き放った瞬間だ。とても衝撃的で悲しいシーン。実の母親からすれば、誘拐されていた間の娘の思い出を、多感な三つの子の大事な経験として認めてあげることなど到底できないのも無理はない。関西弁を駆使する娘に発狂して烈火のごとく𠮟りつけてしまう母と、号泣しながら謝罪し記憶を封印することを選択せざるを得なかった、たった四歳の娘。よくこんな映画を作ったものだ。
「忘れてくれるな」
さだまさしのヒット曲。
「忘れるということ」
いろいろなことが思い出せない。初老の特徴でもある。忘れてしまえば幸せなのだという誰かの言葉は間違いない。忘れることさえ可能なのであれば、死ぬことだって怖くないのだ。死んだら忘れるのだ。死の瞬間の恐怖だけではなく、大切な思い出や学んできたことや忘れたくないこともすべて。
昨日の練習
夜、45分の短いメニュー。
覚えているだけメモ
Up 50x6 1.00
Kick 75x4 1.30 板あり ←大きくサークルアウト×
Pull 75x4 1:10 hypo5
swim 50x1 2:00 EASY
swim 75x4 1:15
swim 50x4 0:45
swim 100x2 1:45
AllOut 100x1 2:00 IM
down 100x1
total 2050
トータル時間が短いのでセーブすることなく出し切れたとは思う。
50mの45秒サークルが最後間に合わず息が上がり、次の100mまで30秒休ませてもらうという体たらく。
最後のIMは1.40かかった。FlyとFreeが20秒ずつで、バックとブレでそれぞれ30秒かかってる感じだろうか。これを25秒ずつにすれば1.30でいけるはずなのだが、そう簡単ではなく。
仕事がおもしくろないことに気づいて色々考えたこと
これまで好き勝手やってこれたプログラマーだったのだが、管理職になってからどんどん仕事は面白く無くなってきた。あるあるの話なのだろうが、特に会社に親会社のやり方を持ち込んで介入してきたというのも、タイミング的に大きかった。管理職に登用されたのも親会社の意向も大きいし、給料は大きく上がったので文句を言うべきではないのも分かっている。だが仕事そのものが辛くやる気が起きない。これまでが恵まれすぎたのであろう。また何年振りかに転職を考えるようになった。
転職を考えていた頃、もう何年か以上も前だがその時はその時で、不当に評価されない不満だったり上司が気に食わなかったりと言うのが動機だったのを思い出す。結局そう簡単に行くこともなく諦めて漫然として過ごすうちに年を取り部長になってしまい、こうなったら会社のため若い社員のためと骨を埋めるべきかと思いながら過ごしてきた。働いてきたと言うより過ごしてきたという方が自分の感情に近い。
正直会社の事業に将来性は乏しく、自分の仕事はさらに競争力のない製品をメンテナンスし続けることに過ぎないことに気づいている。ここにやりがいがないことも私のやる気が起きないことに大きく影響しているのだろう。若い社員はそんなことは気にせずただ自分の技術を磨くか、安定して楽して給料をもらえることが重要として過ごしている。贅沢さえ言わなければ既存の資産を売り続けるだけで定年まで社畜として給料をもらい続けることは可能だ。
新型コロナをきっかけに導入されたほぼ100%のリモートワーク。はっきり言ってこれは素晴らしい出来事だった。往復何時間もかけていた電車通勤がどれほど自分の時間を奪い、家族との時間を奪っていたかを知った。転職ができたとしてこの大きなメリットが維持できる環境に移動できるかは甚だ疑問だ。その恵まれた環境でもなお仕事用のパソコンにログインするのが苦痛なのだ。
色々考えるのだが、フリーのプログラマーになったところで、自分で開発したスマホアプリが大ヒットして個人事業として成り立ったところで、収益化するためには面白くない作業が待っていることにも思い至る。それであれば黙々と心を殺して毎日を過ごせば毎月給料が振り込まれるこの環境がベストであることも再認識できる。ただただ、やはり辛いのだ。
あまりに心に軋みが生じている気がして、今日は久々に出勤時間をずらした。11時出勤にするつもりだ。出勤と言ってもパソコンにログインしてリモートワーク開始宣言メールを打つだけだ。勝手に開始時間を気分で変えられるのもとても恵まれた環境だ。今は久々にココスのモーニングに来店した。平日なので客も少なく広いテーブルで一人でぼーっとした。何か始めなければと何年も前に開発をやめたAndroidアプリをいじり始めようとノートPCを最近新調して持ってきたのだがパソコンを開こうとするも気が重い。結局何にもしたくないのだ。
だが、この堂々巡りの思考をメモしとくのも良いな、そうだ久々にブログにでも書いておこう、と思ったらすぐにノートパソコンを開くことができた。何年振りかにはてなにログインし、1年以上前に書いた随筆ブログを読み、なかなか悪くないなと感心した。そして今日のネタを嬉々として文章を書いた。文章はあまり上手ではないが、書くことが好きなのだなと気づく。文章を書くことではなく、考えを形にすることが好きなのだろうな。だけど本を読むのは苦手だ。文章が稚拙なのはここに原因があるのだろうとも自覚する。
文章でもなんでも構わない、クリエイティブな仕事がしたい。ここに行き着いた。一体何歳でそんなこと言ってるのだか、とも思うが一生思想家でいたいとも改めて思った。
恐ろしい夢
恐ろしい夢を見た。まだ小さかった頃の次男、首と胴体が離れている。まだロンパースを着ている胴体をずっとクルマの中に置きっぱなしにしていて、早く取ってきて首とくっつけなきゃと思っているうちに、首のほうの断面に皮が出来てしまった。
首の方はちゃんと生きていて、首から上だけで生活している。どうやら別の胴体のようなものが生えていたような気もする。
ずっと置きっぱなしで忘れていた胴体を取ってきて次男に渡す。次男は、あ、これどこにあったの?と尋ねる。首の断面にできた皮を取りのぞいて胴体とくっつければ神経がつながるのでは?と思ったが、わたしはまた面倒くさがって後回しにしてしまう。
しばらくして戻って次男の様子を見るとすでに胴体は首とくっついていて、次男は立ち上がる練習をしている。リハビリのような感じだ。首の境目を切って皮を剥いでもう一度胴体に付け直せば、もっと神経は繋がりやすくなるだろうと思うのだが、思い直して首切るのはさすがに危ないのではと思い様子を見る。
くっついた胴体に生えた足はロンパースの頃の可愛らしい足ではなく、年齢相応に長い足にまで延びていたが、骸骨のような骨ばった長い足で、生まれたての子牛のようにふらふらで立ち上がる練習をしている。首のくっついた境目は段になって内側に皮がある。なぜ神経が繋がったのか不思議だ。
オレンジ色と白色の、横ボーダー柄の可愛いロンパース。私は首の境目をなおしてあげようかというが、次男は私の怠惰に怒ることもせず、これで大丈夫だよと言う。前向きにこれでいいよと言うのだ。私の怠惰せいでそんな体になったにも関わらずだ。
立ち上がった次男の背中側にまわり、背中や腕や足を触りながら、神経のつながり具合を確認するために触られてる感覚があるか確かめながら尋ねる。
次男は、触られてる感覚が無いようで反応が鈍い、腕は触られていることがわかってうなずいていたが、背中や足はよくわからない風だった。
夢はここまで。
夢の中での感情を思い出すと、大事なことを後回しにし、めんどくさいことは気が乗らず後回しにして、でも気にはなっている感じ。
息子の大事な成長期の体なのに何ヶ月もほったらかしにしてしまい自分の怠慢を優先してしまっている、その結果、次男は、不完全なまま成長してしまったのだという感覚。
そのうちに皮が出来てしまった、しかも新しい手足まで。でも忘れていた体を渡すと次男は、怒らずに無邪気にこれどこにあったのと喜ぶ。しかもすぐに体とくっつき、親の力を越えた自立した能力を見せる。
くっつきかけた首をもう一度切ってくっつけ直そうとするとき、何でも自己流で修理をしようとして大体上手く行かずに失敗するときの情けない感情が起こるのをかんじる。そして、さすがに今回は息子の命に関わることにおののいて諦める。
以上
200mクロール
来週の200m個人メドレーの検定に向けて、とにかくスタミナを維持できるようになることを目標に練習を始めた。昨日は、200mクロールを4分サークルで6本。何度も心が折れそうになった。200mはやはりしんどい。すべて3分20~25秒だった。しかし、クロールでこのタイムでは個人メドレーの3分40秒はやはり厳しいといわざるを得ない。そのあとメドレー順に50mを2本ずつ。単発で泳いでもバックとブレは50mで1分近くかかってしまう。バッタで45秒、バック1分、ブレ1分5秒、フリー50秒でちょうど3分40秒だ。最初からバッタで飛ばすしかない。あと、ターンで損してはいけない。きれいに壁を蹴って稼がないと。最後のフリーも口から心臓が飛び出すくらいまで出し切らないと間に合わないだろう。